お母さんの心と向きあう

江口寿子

第8回


◆わが子を叱れない。


 五歳児のリトミックのグループレッスンで、その事件は起こりました。
 ヒロキくんが、つぎつぎに女の子を突き倒して、遊びはじめたのです。
 突き倒された女の子の一人のモエちゃんは、泣きながらお父さんにしがみつきました。
 そのようすを、突き倒したヒロキくんは、ニヤニヤ笑って見ていました。
 モエちゃんのお父さんが、ツカツカとヒロキくんに近づきました。
「ダメじゃないか。やめなさい」
 お父さんはそういうと、ヒロキくんの頭を、軽くコツンと叩きました。
 けっして恐い叱り方ではなかったし、痛いコツンではなかったと、見ていた人たちはいいました。
 でも、ヒロキくんは、火がついたように泣きはじめました。よそのお父さんから、軽くとはいえコツンとやられたわけですから、いつも元気なヒロキくんでもショックだったのでしょう。
 ヒロキくんのお母さんは、泣きつづけるヒロキくんの手を引くと、黙ってレッスン室を出て行かれました。
 そのあとのレッスンは、いつもより楽しく進みました。というのは、このグループのレッスンは、いつもヒロキくんのために中断させられてきたのです。
 その夜、ヒロキくんのお母さんからお電話がありました。
「親も手をあげたことがないのに、よその親から叩かれるなんて、こんなひどいことがあってよいものでしょうか? それにしても、他人の子どもを平気で叩くなんて、あの親は非常識すぎます。ヒロキに謝ってほしいです。もう、あのグループはこりごりです。ほかのグループにかえてください!」
 私は、お母さんをたしなめました。
「お母さまは、たった一回、ヒロキくんが叩かれただけでお怒りですが、ヒロキくんが、いつもお友だちを叩いたり、突き倒したりしているのを、なぜおとめにならないのでしょうか? 一番先にとめるべきは担当ですが、つぎにとめるべき人は、お母さまではないでしょうか?」
 お母さんは、子育てについてのご自分の方針を話されました。
「私はヒロキを、のびのびと育てたいのです。お行儀はよいけれど小さく固まった子ではなく、お行儀は少し悪くても、スケールの大きな子に育てたいのです。そのため
に、枠にはめないで自由に、やりたいようにやらせているのです」
 ヒロキくんのお母さんの“子育て論”は、筋が通っているようでいて、実は支離滅裂です。よその子の迷惑や痛みなどまったく考えていない、自己中心的で、わがまま勝手なものです。
 このように、わが子を叱れないお母さんがふえています。叱れないほんとうの理由は、愛情があるからではなく、子育てに自信がないからなのです。 




●江口寿子(えぐち・かずこ)

 国立音楽大学ピアノ科卒。絶対音感プログラムの創始者。ピアノ指導のかたわら、ピアノ教育、音楽教育、音楽心理学、児童心理学を研究。
「一音会ミュージックスクール」(現生徒数2000人)をつくり、こどもたちを指導。ピアノ教師の研究サークル「子どもの音楽を考える会」(現会員数1000人)をつくる。ビデオによる通信教育「PLAS」(受講者数8000人)を行なっている。

●著書

 「おんぷの学校」
 「ピアノの学校」
 「ピアノレッスンを変える」シリーズ (以上 全音楽譜出版社)
 「イメージ聴音ワークブック」
 「リズムワークブック」(共同音楽出版社) 他多数。

●一音会ホームページアドレス
 http://www.ichionkai.co.jp/



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