お母さんの心と向きあう
江口寿子
第6回
◆わが子をけっして褒めない。
タカシくんは一年生です。元気で明るい男の子ですが、いざとなると、自信をもって何かに取り組むことが苦手です。
たとえば、リトミックのレッスンで、お手本を示してもらおうとすると、「できないもん!」を連発します。
でも、ほんとうは、お友だちの誰よりも上手にできているのです。それなのに自信がないのです。
なぜだろう…… と考えました。何か原因があるはずだ…… と思いました。
そんな頃、生徒が一人ずつ、私に演奏をきかせてくれる行事がありました。
タカシくんも、その行事に参加しました。
タカシくんは、ていねいに心をこめて演奏してくれました。自分の出す音を、耳でよくききながら弾いていました。
一番すばらしかったのは、「この曲をこう弾きたいんだ」という、タカシくんの強い意志が、きいている私にジンジンと伝わってきたことです。
演奏がいまにも終わろうとしたとき、恐らく気持ちがゆるんだのでしょう。タカシくんが、ちょっととまって、弾きなおしをしました。
その瞬間、それまで冷静に見守っていたお母さんが、顔をしかめました。
タカシくんの演奏は、曲の終わりで小さな傷をちょっと残しはしましたが、それは演奏のすばらしさを、少しも傷つけるものではありませんでした。
そもそも、ピアニストでさえ、完璧な演奏などめったにできません。そこにまた、演奏の面白さがあるのです。
タカシくんは、ていねいにおじぎをしながら、チラッとお母さんの顔色をうかがいました。お母さんの顔は、凍りついたように無表情です。怒っています。
私は、タカシくんを褒めました。
「お耳でよくききながら弾いていたわ。とてもきれいな音だったわよ!」
タカシくんが、恥ずかしそうに笑いました。横からお母さんがいいました。
「家では、いいかげんな練習ばかりしております。もっと真剣に練習してほしいのですが……」
私がまた、タカシくんを褒めました。
「タカシくんの音楽が、先生に伝わってきたわ。いつもきょうみたいに、曲のイメージをつくって、自分の音楽を表現してちょうだいね!」
タカシくんが、コックリうなずきました。お母さんが、またいいました。
「最後でまちがえたら、何にもなりません。ほんとに、だらしがありません」
私は、お母さんにお話ししました。
タカシくんの演奏はすばらしかったこと。演奏をきけば、毎日の真剣な練習のようすがわかること。お母さんからも褒めてあげてほしいこと。
お母さんは、「ありがとうございます」とおっしゃいましたが、部屋を出なからタカシくんに小声でいいました。
「何やってるの、バカ!」
●江口寿子(えぐち・かずこ)
国立音楽大学ピアノ科卒。絶対音感プログラムの創始者。ピアノ指導のかたわら、ピアノ教育、音楽教育、音楽心理学、児童心理学を研究。
「一音会ミュージックスクール」(現生徒数2000人)をつくり、こどもたちを指導。ピアノ教師の研究サークル「子どもの音楽を考える会」(現会員数1000人)をつくる。ビデオによる通信教育「PLAS」(受講者数8000人)を行なっている。
●著書
「おんぷの学校」
「ピアノの学校」
「ピアノレッスンを変える」シリーズ (以上 全音楽譜出版社)
「イメージ聴音ワークブック」
「リズムワークブック」(共同音楽出版社) 他多数。
●一音会ホームページアドレス
http://www.ichionkai.co.jp/ |