お母さんの心と向きあう

江口寿子

第5回


◆わが子の将来を決めたがる。


 ユリちゃんのお母さんは、「子どもの頃、ピアノを習いたかったのに習えなかった」という過去をもっておられます。
 そのため、「子どもが生まれたら、子どもにはかならずピアノを習わせよう」という夢を、ずっとあたためてこられたようです。
 そして、三歳になるのを待ちかねるようにして、私のスクールにユリちゃんをつれてこられました。
 あれから三年。ユリちゃんはいま、六歳になりました。お母さんのねがいどおり、とても楽しそうにピアノを弾いてきました。そして、ぐんぐん実力をつけてきました。
 そんなユリちゃんを、お母さんは幸せそうに見守っておられました。
 でも、そんなお母さんの心の中に、とてつもなく大きな夢が膨らんでいることに、私はある晩まで気がつきませんでした。
 ある晩、ユリちゃんのお母さんから電話がかかってきました。
「先生。ユリを将来ピアニストにしたいのですが、ピアニストになれる才能があるでしょうか?」
「……」
 私は、あまりにも唐突な質問に、思わず言葉がつまりました。お母さんは、たたみかけるように言葉をつなげました。
「私の夢は、ユリをピアニストにすることなんです。それも、一流のピアニストにしたいのです」
 ユリちゃんは、まだ六歳でしかありません。ピアノをはじめてから、たった三年しかたっていません。
 これまでは楽しそうにピアノを弾いてきましたが、ユリちゃんにとってピアノよりもっと好きなことが、この先、見つかるかもしれません。
 したがって、将来ピアニストになるかどうかなどは、まだ決められるはずがありません。それに、ピアニストになるかどうかは、ユリちゃん自身が決めることであって、お母さんが決めることではありません。
「お母さま。ユリちゃんはいま、楽しくピアノを弾いていらっしゃいますし、順調に伸びていらっしゃいます。いまのまま見守ってあげていただけませんか?」
「ピアニストはムリなのでしょうか?」
「それを決めるのは、もっとずっと先でよろしいのではないでしょうか?」
「ずっと先って、いつ頃でしょうか?」
「ユリちゃん自身の意志が、はっきりしてからです」
 困ったことに、わが子に自分自身の夢を重ねて、それを 生きがい にするお母さんが増えてきています。
 でも、お母さんには、お母さん自身の夢を追ってほしいと思います。
 そして、お子さんの将来は、お母さんがかわりに決めるのではなく、お子さん自身に決めさせてほしいと思います。


●江口寿子(えぐち・かずこ)

 国立音楽大学ピアノ科卒。絶対音感プログラムの創始者。ピアノ指導のかたわら、ピアノ教育、音楽教育、音楽心理学、児童心理学を研究。
「一音会ミュージックスクール」(現生徒数2000人)をつくり、こどもたちを指導。ピアノ教師の研究サークル「子どもの音楽を考える会」(現会員数1000人)をつくる。ビデオによる通信教育「PLAS」(受講者数8000人)を行なっている。

●著書

 「おんぷの学校」
 「ピアノの学校」
 「ピアノレッスンを変える」シリーズ (以上 全音楽譜出版社)
 「イメージ聴音ワークブック」
 「リズムワークブック」(共同音楽出版社) 他多数。

●一音会ホームページアドレス
 http://www.ichionkai.co.jp/



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