お母さんの心と向きあう
江口寿子
第4回
◆わが子の召使になる。
五歳のマミちゃんが、元気に飛び込んできました。玄関の靴を乱暴に蹴り散らして、待合室のベンチに座りました。
あとから、お母さんが玄関に入ってこられました。お母さんは腰をかがめて、マミちゃんが蹴り散らした靴をならべ、靴箱にしまいました。
マミちゃんはベンチに座って、足をバタバタさせながら、お母さんに向かって叫びました。
「はやく〜! スリッパはくの〜!」
私のスクールでは、転ぶ原因になるので、子どもはスリッパをはいてはいけないきまりになっています。
お母さんが、いいきかせています。
「スリッパは、はかないお約束でしょ?
だ〜れも、はいていないでしょ?」
「ヤダヤダヤダヤダ! マミちゃんは、どうしてもはきたいの〜! エ〜ン」
「しょうがないわね〜。じゃあ、ちょっとだけはいて、すぐ脱ぐのよ」
スリッパをはかせてもらって、マミちゃんはご満悦。スリッパの足を、バタバタゆらしています。
スリッパが脱げて、飛び散りました。お母さんは、慌ててそれを拾うと、マミちゃんの足にはかせました。
マミちゃんは、また足をバタバタさせて、スリッパを飛ばしました。お母さんは拾って、マミちゃんにはかせました。
どうやらマミちゃんは、お母さんに拾わせるのが面白くて、わざとやっているようです。
しばらくその遊びがつづき、つぎの遊びに移りました。
「お絵描きしたい! いますぐする!」
お母さんが、いいきかせます。
「もうすぐレッスンだから、お絵描きする時間はないの。お家に帰ってから!」
「ヤダヤダヤダヤダ! マミちゃんは、いますぐお絵描きするの! エ〜ン」
「しょうがないわね〜。じゃあ、ちょっとだけで、すぐやめるのよ!」
お母さんがクレヨンの箱を、レッスンバッグの中から取り出しました。するとマミちゃんは、クレヨンの箱を、突然投げ捨てました。
バシャーンという大きな音がして、
十二本のクレヨンが、床いっぱいに散らばりました。
お母さんは床にひざまずき、クレヨンを拾いはじめました。拾い集めても、
マミちゃんはきっとまた投げるでしょう。
マミちゃんとお母さんの関係は、一事が万事、こんなふうです。お母さんは、マミちゃんの召使になっています。
先生は、お母さんにお話ししました。
マミちゃんの意思を尊重することと、いいなりになることはちがうこと、我慢を教えることは大切なこと。泣いても驚かずに、悪いことは悪いと教えること。
その日から、お母さんの努力がはじまりました。努力のかいあって、少しずつマミちゃんの行動がかわってきました。
●江口寿子(えぐち・かずこ)
国立音楽大学ピアノ科卒。絶対音感プログラムの創始者。ピアノ指導のかたわら、ピアノ教育、音楽教育、音楽心理学、児童心理学を研究。
「一音会ミュージックスクール」(現生徒数2000人)をつくり、こどもたちを指導。ピアノ教師の研究サークル「子どもの音楽を考える会」(現会員数1000人)をつくる。ビデオによる通信教育「PLAS」(受講者数8000人)を行なっている。
●著書
「おんぷの学校」
「ピアノの学校」
「ピアノレッスンを変える」シリーズ (以上 全音楽譜出版社)
「イメージ聴音ワークブック」
「リズムワークブック」(共同音楽出版社) 他多数。
●一音会ホームページアドレス
http://www.ichionkai.co.jp/ |