お母さんの心と向きあう
江口寿子
第3回
◆わが子を支配する。
ケンタくんのお母さんは、きちんとしたお母さんです。髪の毛一本乱れず、いつもスーツをステキに着こなしていらっしゃいます。
ケンタくんもきちんとした子どもで、一年生の男の子にしては、とても落ちつきがあり、素直な性質の子どもです。
お母さんとケンタくんは、理想的な母子です。少なくともある日まで、先生の目にはそう映っていました。
ところが、ある日のグループレッスンのとき、先生はお母さんとケンタくんとのあいだに交わされている、小さなやりとりに気がつきました。
テキストの絵に、色をぬることになったときです。
「じゃあ、ゾウさんを、好きな色でぬってくださ〜い!」
ケンタくんがお母さんのほうを、チラ
ッとふり返りました。お母さんが、小さくうなずきました。
ケンタくんは、1本のクレヨンを手にもつと、お母さんのほうを、またチラッとふり返りました。お母さんが、また小さくうなずきました。
ケンタくんは、そのクレヨンで、ゾウさんをぬりはじめました。しばらくたって、先生がききました。
「ゾウさんの色、ぬれた人は?」
ケンタくんが、またまたお母さんをふり返りました。お母さんが、またまた小さくうなずきました。ケンタくんが、元気に手をあげました。
「ハーイ!」
その日から先生は、お母さんとケンタくんの関係が気になりはじめました。
よくよく見ていると、ケンタくんはつねにお母さんに合図を求め、お母さんもまた、ケンタくんに合図を送っていることがわかりました。
つまり、ケンタくんは、つねにお母さんから出される合図で行動し、お母さんの合図なしには、自分の意志で行動を起こせなくなってしまっているのです。
先生は思いました。ケンタくんのお母さんは完璧を求めるあまり、自分の思うがままに、つねにケンタくんを支配してきたのではないかと……。
ピアノの先生にようすをたずねてみると、ピアノのレッスンではもっとひどい状態だ、ということがわかりました。
お母さんとケンタくんを切り離して、ケンタくんを自立させなければ…… と、先生たちは考えはじめました。
まずはじめに、お母さんにいまの状態は、ケンタくんのためによくないことをお話しして、お母さんからは合図を送らないよう、お願いすることにしました。
そして、もしケンタくんがお母さんの合図を求めつづけるようなら、しばらくのあいだ、レッスン室の中には入らず、室外で待っていただくことにしました。
賢明なお母さんのことです。きっとわかってくださると思います。
●江口寿子(えぐち・かずこ)
国立音楽大学ピアノ科卒。絶対音感プログラムの創始者。ピアノ指導のかたわら、ピアノ教育、音楽教育、音楽心理学、児童心理学を研究。
「一音会ミュージックスクール」(現生徒数2000人)をつくり、こどもたちを指導。ピアノ教師の研究サークル「子どもの音楽を考える会」(現会員数1000人)をつくる。ビデオによる通信教育「PLAS」(受講者数8000人)を行なっている。
●著書
「おんぷの学校」
「ピアノの学校」
「ピアノレッスンを変える」シリーズ (以上 全音楽譜出版社)
「イメージ聴音ワークブック」
「リズムワークブック」(共同音楽出版社) 他多数。
●一音会ホームページアドレス
http://www.ichionkai.co.jp/ |