お母さんの心と向きあう
江口寿子
第2回
◆わが子しか見えない。
一年生のヒカリくんのお母さんは、ヒカリくんをとても愛しています。
わが子を愛していないお母さんなどいませんが、ヒカリくんが一人っ子だというせいもあってか、人一倍、わが子への愛情が強いお母さんのように感じます。
グループレッスンのときのお母さんの心は、つねにヒカリくんだけに向けられています。
ほかのお母さん方は、わが子だけでなく、よそのお子さんのことも見ていらっしゃいますが、ヒカリくんのお母さんの視線は、ヒカリくんの動きだけを追っていて、ほかの子どもたちなどまるで存在していないかのようです。
そんなヒカリくんのお母さんから、ある晩、お電話をいただきました。
「ヒカリのレッスン時間を、あと三〇分遅くしていただきたいんですが……」
お母さんのお話によると、いまの時間だと学校から帰ってゆっくりする時間がないので、できればゆっくりして疲れをとってから家を出たいのだそうです。
私のスクールでは、同じ曜日内でも時間を変更するときには、先生もグループもかわることになっています。
念のため、お母さんに確認しました。
「30分遅らせると、ピアノの先生も、リトミックやソルフェージュのグループもかわりますがよろしいですね?」
お母さんは、電話口で叫ばれました。
「それは困ります。ナカダ先生もグループも、かわりたくありません!」
「30分あとのナカダ先生の時間では、ほかのお友だちがレッスンを受けています。そのお友だちに、先生やグループをかわっていただくわけにはいきません」
「ヒカリもナカダ先生をかわりたくありません。そのお子さんにかわってもらってください。なぜヒカリだけが……」
「それは、ヒカリくんのごつごうによる変更だからです」
「それにしてもひどすぎます!」
お母さんは興奮して、完全にわが子のことしか見えなくなっています。
「お母さま。立場をかえて、お考えになっていただけませんか? ほかのお子さんが30分遅くなるために、ヒカリくんのピアノの先生や、リトミックやソルフェージュのお友だちがかわるとしたら、お母さまはどう思われますか?」
「そんなこと、ぜったいにイヤです!」
「ご自分はイヤだけれど、ほかのお子さんにはさせろとおっしゃるのですね?」
ヒカリくんのお母さんが、沈黙しました。何かに気づかれたようです。
「いまの時間のままでお願いします。わがままをいってすみませんでした」
ちょっと立場をかえて考えていただくことで、お母さんの視点をよそのお子さんに向けていただくことができました。
わが子中心の考え方のお母さんが出るたびに、立場をかえて考えるきっかけを提案していきたいと思っています。
●江口寿子(えぐち・かずこ)
国立音楽大学ピアノ科卒。絶対音感プログラムの創始者。ピアノ指導のかたわら、ピアノ教育、音楽教育、音楽心理学、児童心理学を研究。
「一音会ミュージックスクール」(現生徒数2000人)をつくり、こどもたちを指導。ピアノ教師の研究サークル「子どもの音楽を考える会」(現会員数1000人)をつくる。ビデオによる通信教育「PLAS」(受講者数8000人)を行なっている。
●著書
「おんぷの学校」
「ピアノの学校」
「ピアノレッスンを変える」シリーズ (以上 全音楽譜出版社)
「イメージ聴音ワークブック」
「リズムワークブック」(共同音楽出版社) 他多数。
●一音会ホームページアドレス
http://www.ichionkai.co.jp/ |