お母さんの心と向きあう
江口寿子
第16回
◆わが子に期待しない。
わが子の将来に過剰な期待をかけるお母さんもいれば、まったく期待しないお母さんもいます。
ユミちゃんのお母さんは、期待しないお母さんの一人です。
「さあ、ユミちゃん。こんどはこの曲を練習するわよ。だんだんむずかしくなるけど、がんばろうね!」
先生がそういいながら、新しい楽譜を開いてユミちゃんに見せました。ユミち
ゃんは、目を輝かせて覗き込みました。
そのとき、ユミちゃんのお母さんがいいました。
「ユミ、どうせ弾けないわよ。あんたは音符もろくに読めないし、練習もろくにしないし……」
ユミちゃんは、悲しそうに目を落としました。先生は、慌ててユミちゃんを励ましました。
「だいじょうぶよね。がんばろうね!」
お母さんが、また口をはさみました。
「この子は、何をやらせてもダメなんです! 人なみにできることなんて、何にもないんです!」
ユミちゃんのお母さんは、ユミちゃんをほんとうにダメな子だ、と思っているのでしょうか。
私自身の子どもの頃を思い出してみると、私の母はいつでも、「あなたならできるわ!」といってくれました。
それだけではありません。平気でよその人の前で、「この子は、とてもよい子なんですよ!」とほめるのです。
「お母さん。恥ずかしいからやめて」と私がいっても、「いいじゃないの。ほんとによい子なんですもの!」とすまして笑っていました。
私にとって母のこの言葉は、恥ずかしくても、一番うれしい言葉でした。
子どもの頃、内気で発言や発表が苦手だった私は、どれほど母のこの言葉に勇気づけられたかわかりません。
おとなになるまでも、おとなになってからも、また母が亡くなってからも、困難にぶつかるたびに、「あなたならできるわ!」という母の言葉から勇気をもらい、支えられてきました。
母の期待に応えたい。母をよろこばせたい。亡くなった母がどこかでよろこんでくれているだろう……。
母へのその思いが、私を奮い立たせ、強くしてくれたのだと思います。
もし母が、私にまったく期待しない親だったら、私は子どもの頃のように、内気で、消極的な生き方しかできない人間のままだったと思います。
過剰な期待は子どもをつぶしますが、子どもに期待しないお母さんも、子どもの潜在能力をつぶしてしまいます。
親に期待されないで育った子どもが、課題に挑戦する意欲がなく、せっかくも
っている能力が開発されないまま終わってしまうことは、心理学の研究でも実証されています。
●江口寿子(えぐち・かずこ)
国立音楽大学ピアノ科卒。絶対音感プログラムの創始者。ピアノ指導のかたわら、ピアノ教育、音楽教育、音楽心理学、児童心理学を研究。
「一音会ミュージックスクール」(現生徒数2000人)をつくり、こどもたちを指導。ピアノ教師の研究サークル「子どもの音楽を考える会」(現会員数1000人)をつくる。ビデオによる通信教育「PLAS」(受講者数8000人)を行なっている。
●著書
「おんぷの学校」
「ピアノの学校」
「ピアノレッスンを変える」シリーズ (以上 全音楽譜出版社)
「イメージ聴音ワークブック」
「リズムワークブック」(共同音楽出版社) 他多数。
●一音会ホームページアドレス
http://www.ichionkai.co.jp/ |