お母さんの心と向きあう
江口寿子
第15回
◆わが子に過大な期待をかける。
親であれば誰しも、わが子の将来に期待をかけます。それは、わが子に対する愛情の証でもあります。
でも、たとえ愛情から出たものであっても、その期待が過剰で、わが子を押し潰すほどのものであったら大問題です。
昔のお母さんも、子どもを愛していました。いまのお母さんと、愛情の度合いにおいては、少しもかわりません。
でも、昔のお母さんは、些細なことは気にしないで、鷹揚に育てていました。
乱暴なたとえですが、子どもを羊にたとえれば、大きくて広い柵の中で、放し飼いにして育てました。
子羊が柵から飛び出して、迷子になってもどれなくなったり、命の危険にさらされない限り、お母さんは遠くから見守っているだけです。
昔のお母さんは、そんなふうにして、たくさんの子どもを育てました。私の友人には、十人きょうだいの人もいます。
いまのお母さんは、少ない子どもを、大切に大切に育てておられます。
タカヒロくんのお母さんも、細やかな心配りをつねに忘れず、溢れるような愛情を注いでおられます。
先生がタカヒロくんの変化に気がついたのは、年中さんの秋頃でした。
元気で明るいタカヒロくんが、レッスンで軽く注意しただけで、瞳に涙をたたえはじめるのです。「できなくてもいいのよ」などと声をかけようものなら、ポロポロと涙がこぼれ落ちます。
リトミックのレッスンでも、あまりうまくできないことがあったり、お友だちよりちょっと遅れたりするだけで、そのたびに体を震わせて泣き出します。
先生は、すぐにわかりました。
「タカヒロくんは、小学校受験をなさいますね?」
「はい。先々、受験で何度も苦労するのは可哀相なので、何もわからない今のうちに、できるだけレベルの高い学校に入れてあげたいと思って……。狙っている付属小学校は、東大合格率がとても高いんです!」
「受験塾にお通いですね?」
「はい。もっともっとがんばらないと、いまは塾で落ちこぼれているんです!」
お母さんは、「何もわからない今のうちに」とおっしゃいましたが、タカヒロくんは今、わかり過ぎるほどわかっています。そして、自信を失い、不安に襲われ、深く心を傷つけられています。
でも、遠い将来の東大合格のために、わが子を押し潰していることに、お母さんはまったく気がついておられません。
わが子にかける期待の半分を、お母さんは、自分自身のこれからの人生にかけていただきたい、と私は思います。
お子さんはお母さんの背中を見て育ちますから、お子さんに過大な期待をかけるより、お母さんは生き方のお手本を、しっかりと見せていただきたいのです。
●江口寿子(えぐち・かずこ)
国立音楽大学ピアノ科卒。絶対音感プログラムの創始者。ピアノ指導のかたわら、ピアノ教育、音楽教育、音楽心理学、児童心理学を研究。
「一音会ミュージックスクール」(現生徒数2000人)をつくり、こどもたちを指導。ピアノ教師の研究サークル「子どもの音楽を考える会」(現会員数1000人)をつくる。ビデオによる通信教育「PLAS」(受講者数8000人)を行なっている。
●著書
「おんぷの学校」
「ピアノの学校」
「ピアノレッスンを変える」シリーズ (以上 全音楽譜出版社)
「イメージ聴音ワークブック」
「リズムワークブック」(共同音楽出版社) 他多数。
●一音会ホームページアドレス
http://www.ichionkai.co.jp/ |