子どもの心を見つめて

江口寿子

              
第8回


◆“転ばぬ先の杖”はダメ。

  二年生のヒカリくんが、まっ赤な顔をして、レッスン室に入ってきました。
 雨は降っていないのに、雨よけのカッパを着ています。レッスンバッグの中から、折りたたみの傘ものぞいています。
 そういえば、きょうの天気予報は、夕方から雨だったような気がします。
  レッスンがはじまるときになっても、ヒカリくんは、まだカッパを脱ごうとしません。
 ヒカリくんのおでこには、大粒の汗が光っています。ただでさえ暑い夏に、カッパを着たままなのですから、ムリもありません。
  先生が、見かねて声をかけました。
「ヒカリくん。暑いでしょ?」
「……」
 ヒカリくんは無言のまま、しきりに首をかしげています。
「そのカッパ、脱いだらどう?」
「……」
 ヒカリくんは黙ってうなずくと、ノロノロとした動作で、カッパを脱ぎはじめました。
「帰るとき雨が降っていたら、カッパを着るといいわね!」
「さあ、レッスンをはじめましょう!」
「……」
 ヒカリくんは、こんな調子で、レッスン中、ほとんど口をききません。
 まるで、先生の“一人芝居”のようなレッスンがつづきました。
 レッスンが終わったとき、窓の外には霧のような雨が降りはじめていました。
 でも、あまりに細かい霧雨だったので、先生の目には見えませんでした。
 先生がいわなかったので、ヒカリくんのカッパは、外に出てからも、バッグの中です。傘もバッグの中です。ヒカリくんは、カッパを着るのも忘れているし、傘さえ自分からはさしません。
 どうして、ヒカリくんは、こんな子どもになってしまったのでしょうか。
 ヒカリくんのお母さんは、やさしい人で、一人っ子のヒカリくんを、とても愛しています。気配りが細やかで、何でも先へ先へと気がつく人です。
 お母さんがいっしょのときには、ヒカリくんへの問いかけに、すべてお母さんが答えてくださいます。レッスンバッグからの楽譜の出し入れも、お母さんが、手早くササッとすませてしまいます。上着を着せたり、脱がせたりも、いつもお母さんがなさってきました。
 お母さんが手をかけてきたぶん、ヒカリくんは、だんだんスポイルされてしまったのです。必要なこともいわないし、自分から何も気がつかないし、ぼんやりした主体性のない子どもに、なってしまったのです。
 “転ばぬ先の杖”という言葉がありますが、杖のつかいすぎは、子どもをどんどんダメにしていきます。

●江口寿子(えぐち・かずこ)
 国立音楽大学ピアノ科卒。絶対音感プログラムの創始者。ピアノ指導のかたわら、ピアノ教育、音楽教育、音楽心理学、児童心理学を研究。
「一音会ミュージックスクール」(現生徒数2000人)をつくり、こどもたちを指導。ピアノ教師の研究サークル「子どもの音楽を考える会」(現会員数1000人)をつくる。ビデオによる通信教育「PLAS」(受講者数8000人)を行なっている。

●著書
 「おんぷの学校」
 「ピアノの学校」
 「ピアノレッスンを変える」シリーズ (以上 全音楽譜出版社)
 「イメージ聴音ワークブック」
 「リズムワークブック」(共同音楽出版社)
 他多数。

●一音会ホームページアドレス
 http://www.ichionkai.co.jp/



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