2001.7月 第28号
心ひらくピアノ
自閉症児と音楽療法士のレッスンの記録
土’野研治
近年、ピアノの先生に大きな注目を集めている「音楽療法」。LPOでも取材を行っていたところ、自閉症の生徒に16年間ピアノレッスンを続けている一人の先生に出会いました。
その先生は土’野研治先生。全日本音楽療法連盟(=現「日本音楽療法学会」)認定の音楽療法士であり、音大声楽科を卒業後、3つの養護学校教諭を歴任、現在は昭和音楽大学にて教鞭を執られています。一方、生徒は松岡理樹(まさき)さん。14歳で土’野先生と出会い、現在まで二人三脚のレッスンが続いています。
―― 理樹さんとのレッスンは、今年で16年目を迎えられるとのことですが、レッスン当初はどんなことが大変でしたか?
土’野(以下「T」).
まず最初は「ここにきたらレッスンをする」という場面理解をしてもらうことが難しかったように思います。自閉症の大きな特徴に、状況変化への対応の困難があります。私のところへはピアノレッスンをある程度経験してから来ましたから、ピアノを弾くことには抵抗はなかったと思いますが、場所や先生が変わったという「状況のわかりにくさ」という点ではずいぶん葛藤があったのではと思います。
それから、集中力の持続。最初のうちは大体15分が集中力の限界でしたので、15分したら手拍子やジャンプなどの違う課題で時間をつないでいました。
あとは、順序性の理解。例えばメロディの掛け合いで、伴奏に合わせて私が「まさきくん」と呼んで、彼が「はあい」と交互に応える、というようなことをうまく教えるのが難しかったですね。
―― レッスンでは、具体的にどのような教材を使用されてきたのですか?
T. 前の先生からは「いろおんぷ」によるレッスンを受けていましたので、最初はバイエル後半程度の小品集を使ったりしましたが、スケールを弾く時の指づかいをなかなか理解できないことなどがあり、彼に合ったオリジナル曲を作り、最初の3年くらいはそれでレッスンしていました。
ただ、年月を経ていくうちに、これでいいのかなと疑問も湧いてきましたし、「メリーさんのひつじ」などの、もともと知っている曲ではいい表情をすることもあり、耳慣れた音楽を自分が弾けたということを実感してもらった方が喜びにつながるな、と思い、彼の知っている曲を取り入れることにしました。
一方、それと並行して「即興」を多く取り入れました。「即興」とは音楽療法でもよく使われる手法ですが、例えば「ラドミ」という音形をこちらが指定して、彼にはそれを弾いてもらう。それに対してこちらが即興的に伴奏をつけていき、その次は「ソシレ」というように、楽譜に頼らずその場所ですぐ対応していく演奏法です。その子が今持っている力を利用して技術的な負担を軽減し、こちらがそれに色づけする、合わせてあげるということをやりました。
また自閉症の場合には、トレーニングしていくことによって一つのことはできるようになりますが「応用が利かない」というのが大きな特徴であり「こだわり」といわれる部分です。例えば1つの曲を聞いたら一日中そればかり聞いてしまうとか。そういう「こだわり」への柔軟性を養うためにも、即興は大きな意味を持っています。
とはいえ、最初はすごく軋轢もありましたよ。「ドミソ」に移る時にパニックになっちゃったりとか。でも、その時にこちらが弾くのをやめてしまうのか、もう少し迫ってみるかの判断が指導者には求められます。いつも寄り添っているだけでは、進展がありませんから。
―― 今はレッスンでは「連弾」という形を取っていらっしゃるようですが、それは14年の中で現在のスタイルに落ち着かれたということでしょうか。
T.そうですね。今は彼がメロディ、私が伴奏を弾いています。以前はそれをたまに交換ということもしてみたんですが、試行錯誤の末、今の形が定着しました。
―― 先日レッスンを見学させて頂きましたが、男同士の連弾ということもあって、ものすごくパワフルですよね。確かあの時は弦も1本切れちゃいましたよね(笑)。
T.ええ、あれからまた1本切れたんですよ(笑)。同時に2本切れたこともある。でも、ああいう場でいろんなものを発散できるということもありますから。
連弾にはいくつか意味があって、例えばその子がピアノを弾く力が3くらいしかないとしても、伴奏をつけることによって10まで引き上げることができる。すると、その子は10の喜びを体験できるわけです。また、彼が上達して5までできるようになったら、今度は伴奏を5に落とす。そして最終的には彼が1人でメロディを上手に弾けるようになってきたら、そのメロディを際立たせてあげる伴奏をする。それらを通じて「今自分はここまで弾けるんだ」という喜びをその時々で体験してもらう。それが自分ができることの確認につながるんです。連弾では、指導者はただ単に音の彩りを加えるだけじゃなくて、できること、できにくいことを含めて、きちんと支えてあげることが必要ではないかと思います。
一方、連弾には「かけひき」という側面もあります。レッスンでは、彼の音楽性を主体としてこちらが伴奏をつけてあげる場合もあり、「今度はこっちに合わせてね」と主体の逆転を試みることもある。それで、例えばこちらが少し強い伴奏で引っ張り、彼が少し動揺したとします。そしてその結果、彼にとってよくない状態になりそうだったら元に戻し、そしてまた仕掛ける、ということをやる。そういうやりとりは非常に療法的なものなんですね。そのかけひきがどのくらい柔軟にできるかだと思います。
ただ、気をつけなくてはいけないのは、あえて相手の意にそぐわないことをさせ、その結果パニックになったりした時には、対応を含め、責任を取れるような体制を敷いておくことが必要です。さらに症状を悪くしてしまうこともありますから。
―― では、その「パニック」について。具体的には自傷・他傷行為、癇癪(かんしゃく)を起こすと聞いていますが、実際にそうなってしまった時はどう対処すればよいのでしょう。
T.そういう時は、相手もこちらの出方を見ているわけです。例えばこの先生だったら自分がこの程度パニックしても大丈夫かなとか。となると、先生はパニックに対して最初は動揺したとしても、それに慣れていくこと、そして、この位だったら収まるなとか、ここまで出てしまうと収拾がつかない、ということを、一度その子に全部出してもらって判断していくしかないと思うんです。最初はその子に則することを主体としても、その中から信頼関係を少しずつ引き出し、次は少しせめぎあうような場を作っていく。普通の人間関係と同じだと思うんですよね。ただ形式的なお付き合いで終わるのか、本音でぶつかり合うところまでいくのか。
ただ、何かあったとしても、「私は大丈夫だよ」「いいよ、何でも出しなさい」というようにキャパシティを広くしておくことが大事。お互いがパニックになっちゃったら収拾がつきませんから。
―― これまでに弾いた曲は100をゆうにを超えるとか。すごいレパートリーの数ですね。
T.最近のレッスンではこんな曲(別表)を弾いています。基本的には、C-durが多いですが、聴き慣れた曲、弾きやすそうな曲は移調することがあります。
―― 1回のレッスンにこれだけの曲を弾くというのは、かなりエネルギーを使うのでは? でも、だからこそ彼は片道1時間半もかけて通ってくるのでしょうね。
T.ええ、その日は朝ご飯から自分で作って食べて、出かけるのを待つそうですから。この「酒と泪と男と女」は、彼のお母さんによると、レッスンにくる道中の車の中でも歌っていたようです。そういう歌はピアノでもすんなり弾ける。
―― もうすぐレッスンを始められてから16年が経とうとしていますが、今改めてお考えになっていることはありますか?
T.2人でずっと連弾をやってきて、彼がこんなに弾けるようになるとは、ご両親、そして私も予測していませんでした。
また日常生活においても、それまで持っていた障害による特徴は随分と緩和されてきたようです。自傷行為も少なくなりましたし。たまにパニックになっても、その理由がきちんと分かることだから、現在は家庭でも問題がないようです。
ただ、今後の課題もないわけではありません。音楽的なことで言えば、今後、彼一人で演奏する場合も考えたレッスンも検討していかなくてはと思っています。また、これまでに2人でのステージも3回経験していますが、またそういう場を設けられたら、とも考えています。そして、治療的、音楽療法的な側面を考えると、彼が今抱えている問題に対して、今後どういうアプローチをしていくのかということも今後の課題です。正直、これからのことは模索状態ですが、彼とのレッスンを通じて見つけていきたいと思っています。
●プロフィール
国立音楽大学声楽科卒業。
NHK「午後のリサイタル」、日本演奏連盟「えんれんコンサート」に出演、ドイツリート、日本歌曲を中心に多くの演奏活動を行う。
'78年より23年間で、埼玉県の養護学校3校を歴任、障害児の音楽指導や音楽療法の実践を行う。今年4月より昭和音楽大学助教授。各地の講習会やワークショップの講師として活躍している。
全日本音楽療法連盟(=現「日本音楽療法学会」)認定音楽療法士、日本音楽療法学会評議員、国際表現病理学会会員、日本演奏連盟会員。
●著 書
「心ひらくピアノ 自閉症児と音楽療法士との14年」(春秋社)
「標準 音楽療法入門 下」(春秋社)
「教育治療法ハンドブック」(福村出版)
「音楽療法の実際」(牧野出版)ほか |