2006.12月 第93号
春秋社
バルトーク《ミクロコスモス》
春秋社版「バルトーク集」第二期(第4巻〜6巻)
同時刊行に寄せて
(山崎 孝 校訂・運指/伊東信宏 解説)
山崎 孝
このたび、春秋社版世界音楽全集「バルトーク集」第二期、《ミクロコスモス》全巻の校訂を終え、全巻同時刊行を果たす。
《ミクロコスモス》といえば、ピアノ指導者や学習者たちが、“教材”としての意義を心得ていることを筆者は承知しているが、その一方、この稀有の作品の本当の価値というのは十分には浸透しておらず、"教本"としても完全に使いこなされていないのが実情ではなかろうか。ややもすると、「中級までの教材」にすぎないとか、「第六巻」は佳作だが発表会向けの小品程度、という位置づけが横行しているようにも思われる。
バルトークは、大作曲家であるのは言うに及ばず、名教育家であったこと、さらには、作曲家の道を選ばなかったとしたらバックハウスやシュナーベル、フィッシャーと並ぶ名演奏家としても立派な業績を打ちたてたであろうことを想起していただきたい。卓越した作曲技法と豊かな演奏実践、そして音楽教育という三つの支柱が織りなす《ミクロコスモス》の世界は、まさにピアノ音楽史上画期的な試みであったというのが相応しい。ここには、基本的な技術をみがくことによって、豊かな演奏表現を養い、さまざまな作曲上のアイディアを知る楽しみがふんだんに盛り込まれているのである。その点で、《ミクロコスモス》に対する従来の認識は、今回の新しいエディションに接することで、大いに改めてほしいものである。
春秋社から〈新校訂版シリーズ〉「バルトーク集」の依頼を受けたのは、1998年のことである。当初の出版構想は編集作業を経てにわかに進展し、その収録作品の範囲は「全集」と名づけてよいほど、ほとんどの作品を網羅することとなった。
楽譜浄書のための原稿作成と初校の段階から、ブダペシュトのバルトーク研究所所蔵になる自筆原稿との照合という贅沢ができたのは幸いであった。同研究所での資料閲覧の恩恵は計り知れない。また、斯界の重鎮ショムファイ博士やヴィカリゥス所長の助言は大いに励みとなった。こうして初校から校了に至るまで、つねに作曲者の自筆譜に接することができ、校訂作業のうえで多大な成果をもたらし得た。なにより、じかに自筆原稿にふれることは、作曲者の真に意図するところをこの目で確かめることであり、先入観のない空白の頭で臨むことで、旧版のミスを見落とさず、徹底したテクスト作成が為しえたのである。
第一期の校訂作業では、初期の大作《二つのエレジー》で、コチシュ氏から「アルペジオに注意なさい」という助言をいただいたことがある。完璧主義のバルトークといえども間違いはある。《ミクロコスモス》の作業中、つねにそのことが脳裏を横切っていた。幾つか腑に落ちない箇所もあった。例えば、長二度か増二度の違いをどうするか(第132番「シンコペーション」の第二小節目、右手四拍目裏の重音)。幸いバルトーク自身の録音があったため、楽譜の方(底本としたブージー&ホークス版)を誤りと判断し、当春秋社版では、長二度に修正することとなった。さらには、校了目前の最終校正においては、スタッカート点の見落としや、スラー線の不備、フォルテ記号の位置のずれなどを正すことによって、より完璧なテクストをめざした。こうした細部にわたる校訂作業には、当然、バルトーク音楽に精通していなければならず、資料調査の上、しかるべき判断力が要される。これは、学者の眼だけではなく、演奏の立場からの経験、あるいは直感力というものが重要になってくることは言うまでもない。
こうした研究の日々は、長い道のりではあったが、いまでは充実した思い出となっている。かつてブダペシュトのバルトーク研究所で毎日7〜8時間、水とパンだけで調査に没頭していたことがある。数種の自筆原稿を見比べているさなか、バルトーク研究所のヴィカリゥス所長手ずから淹れていただいたエスプレッソの美味しさは、いまでも忘れられない。
最後に心残りなのは、恩師ムニエ先生が先日亡くなられて、この《ミクロコスモス》の楽譜を差し上げられないことである。
●山崎 孝(やまざき・たかし)
1937年生まれ。ピアニスト。くらしき作陽大学教授。
2005年、長年のバルトーク研究にて、「ハンガリー共和国文化勲章 Pro Cultura Hungarican」を受章。 |