2002.4月 第37号
全音楽譜出版社
「ヤナーチェク ピアノ作品集」
草かげの小径にて
ピアノ・ソナタ《1905年10月1日、街頭にて》
霧の中で
伊藤仁美

私が10年以上前、ヤナーチェクのピアノソナタを初めて聴いた
ときの感動は強烈なものでした。演奏もすばらしかったのですが、美しいとか楽しいとか、とても言葉では表現できない人間の魂の叫びのようなものがピアノの音から伝わってきたのです。ヤナーチェクという、チェコでもドヴォルジャークやフィビヒのようにボヘミア出身ではなく、モラビア出身の作曲家に興味を持って音楽界を見回してみますと、オペラをはじめ、オーケストラ、室内楽作品、合唱曲などと共に、ピアノ曲も次々と演奏会のプログラムに取り上げられており、それらを聴き、改めてヤナーチェクの持っている独特な世界の魅力にとり憑かれました。
チェコに出掛けた折に色々楽譜を探し求め、自分のレパートリーにするためチェコのピアニストや音楽院教授達のレッスンを受け、コンサートで弾き始めたところ、聴くのとはまた違った面白さがあり、「アカデミックな演奏解釈であるよりも内面から湧き上がる情感をもっとも大切に」というヤナーチェクの想いが伝わってくるようでした。チェコの音楽家のみならず、子供たちの表現力の豊かさは、コンクールなどでも日本の先生たちの関心の的になっていますが、ヤナーチェクの作品に触れてみてその秘密が解ったような気がします。
この度出版した作品集には、わらべ歌を取り入れた素朴で親しみやすい小品から、リサイタルの最後の曲にできるほど内容の充実した曲まで幅広く収録されています。出版に際しては、チェコの原典版をもとに、ブルノのヤナーチェク記念館、博物館まで出向き、自筆譜、初版、校訂版などをできる限り調べ、指示のなかった指使いなどを加筆しました。また誤植については、先生やピアニストの間で申し送りのような形で指摘されているもの、明らかな間違いを訂正し、読みやすくしたつもりです。さらに、チェコ音楽研究の第一人者、関根日出男先生の解説も読み応えがあると思います。
「草かげの小径にて」は、ヤナーチェクがたびたび耳にしたであろうモラビア民謡、懐かしい故郷の少年時代の思い出や、最愛の一人娘を亡くした悲しみなどを描いた小曲集です。第1集10曲、第2集5曲は、数曲を除いてほとんどが2、3ページの短い曲で、ミラン・クンデラ原作の映画「存在の耐えられない軽さ」の中でもくり返し使われており、もっともポピュラーなピアノ曲といえるでしょう。
「ピアノソナタ・1905年10月1日」は、当時ドイツ人に支配されていたチェコで民族運動が高まり、「チェコ人のための大学を」というデモに参加したモラビアの一労働者が殺された事件に衝撃を受けて作曲され、ヤナーチェクの愛国心を表した曲として有名ですが、とてもインパクトの強い曲です。
「霧の中で」は、ヤナーチェク最後のピアノ作品で、自分自身の内面の告白を表現しています。
ピアノの音で何かを語るということにはどうしても控えめになってしまい、表現が曖昧になりがちな日本人にとって、ヤナーチェクの作品はとても刺激になるはずです。楽譜と同じ内容のCDも全音楽譜出版社から出していますので、聴いていただければ幸いです。
●プロフィール
桐朋学園大学卒業後、全国各地でコンサート、公開講座などで活躍する他、ギロックの作品集のCDを、フォンテック、ビクターから4枚リリース。また、チェコの作曲家、Z.フィビヒのピアノ曲集「気分、印象と思い出」、ヤナーチェクのピアノ作品集「草かげの小径にて、ソナタ、霧の中で」の楽譜を全音楽譜出版社から出版、収録したCDもリリースされている。
ギロック協会主宰、芸術協会会員。 |