2000.10月 第19号

春秋社

園田高弘校訂版

ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ
ベートーヴェンの正統的な奏法の伝承

園田高弘

 
◆原典版のみではピアノ教育はできない
 
  最近の原典ブームは凄まじいものがある。世の中はあたかも幾種類もの「原典」によって、それ以外の昔から使用されてきた注釈版、解釈校訂版は、まるでそれらがすべて間違いだらけの出版物であるかのごとく片隅に追いやられている。これは現実の音楽教育にとってゆゆしき事実であり、将来にわたってはまことに危機的な状況を及ぼすことである。
 昔の音楽を職業とする人々は、書かれた音符を一見しただけで、それはどのような速度と表現によって実践されるべきであるかを、その音符の連なり、音の形態を見てただちに理解し得たのであった。そのために昔の楽譜には速度の指示もダイナミックの表示も、表情記号も書かれてはいなかった。また仮に記されていたとしても、それらはピアノとかフォルテとかの最小限度の指示でしかなかった。それはバロック時代を通じてもそうであったし、古典派の時代に至ってもそうであった。このことは、たとえばバッハが時折、ことさらに詳細に装飾音の奏法を指定したことに、同業者たちの顰蹙(ひんしゅく)を買ったことからしてもうかがわれる。

◆現代のピアノと古典・ロマン派のピアノは違う
 
  この傾向はハイドン、モーツァルトの時代になっても、基本的には変わったようには思えない。そして、ピアノという楽器がだんだんと現在の楽器に進歩変遷してくる歴史的進展のなかで、ベートーヴェンの時代になって初めて、楽譜の表記もより詳細に細密になっていったのである。しかし、それはベートーヴェンの初期の頃のフォルテ・ピアノから、中期、後期を経て、ハンマー・フリューゲルへとすすむ楽器の発展とも密接なかかわりがあり、ベートーヴェンの記譜法も、だんだんと変化していった。その過程を作品によって見ることは大変興味深いものがある。
  現在我々はロマン派以降の堅牢で強大なピアノという楽器によって、ベートーヴェンの作品を演奏している。そのため演奏に対する幾多の解釈、注釈が過去においてなされてきたことは当然であって、演奏はそれによって受け継がれ、「演奏の伝承」がおこなわれてきたのである。「原典」の意味が新たに問い直されることは、それはそれで非常に意義がある。過去においてあまりにも多くの注釈がなされたがため、本来の姿が見極められにくくなったことも事実である。しかし、そのためにはまず過去の多くの偉大な演奏家たちの遺産である注釈版、解釈版を知っていることが大前提となる。「原典版」のみにたよっていては問題は決して解決しない。

◆正統的な「演奏の伝承」を目指して

  このたび、新しくベートーヴェンのピアノ・ソナタを出版するにあたって、以上のような音楽の歴史的経緯を考慮し、現在の近代的なピアノという楽器によって演奏するためには、どのようにベートーヴェンの「原典」を読み、それに基づく演奏表現のための詳細な指示、つまり演奏譜とでも言うべきもの、それによって最小限度の読譜解釈を認知することを、この版によって示すことができればと願った。
  ベートーヴェンの正統的な演奏の伝承のために、ピアノ学習者のみならず、まず教育者が、原典版だけではなく種々の解釈版を参照されること、そのための最初の手がかりとして、このエディションを活用されることを期待したい。

☆『園田版ベートーヴェン』には、装飾音やペダリング等の具体的な演奏法が詳しく記載されています。また三十二曲のソナタが一曲ずつ分冊になっています。初回配本は「悲愴」「月光」「熱情」「ワルトシュタイン」の四冊。第二回配本は来年春の予定。

●プロフィール

1928年生まれ。幼少よりレオ・シロタに師事。東京芸術大学卒業。パリでM・ロン、ベルリンでH・ロロフに師事。54年に初来日したカラヤンの指揮でNHK交響楽団と協演。59年ベルリン・フィルの定期公演に招かれる。
以降国内外で長年にわたり目覚ましい活躍を続け、特にドイツ音楽の演奏にかけては他の追随を許さない。海外のコンクールから審査員として招かれることも多い。85年より「園田高弘賞ピアノコンクール」(大分)開催。81年日本芸術院会員、96年日本レコードアカデミー賞・日本人演奏部門、97年第28回サントリー音楽賞を受賞、98年には文化功労者に選ばれている。

園田先生ホームページ:
http://www.music.co.jp/~evica/



第20号へ

バックナンバー “index”へ

Topへ